ブックタイトル甲府工業高等学校 同窓会記念誌2012

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概要

甲府工業高等学校 同窓会記念誌2012

00000000「同窓会」電子科l組担任長田史壮あの当時を思い出そうとするとどうしても真っ先に「おーいてつろうー」の声が聞こえる放室の先景が顕を返る、ぞれは私の娘が中学三年生の頃で好むと好まぎるとに関わらず嫌というぼどI銀河鉄道999Jに援する時測が多かったことが「てつるー」と云うあの響きが私の蘭に強〈刻み込まれていたからに違いない、クラスの中でも儒もが秋山哲朗君を時ぷ時には設えてスリーナイシ涜のアクセントを付けて「てつろーjと呼んでいたに遣いない、その狭山哲朗君以下三十三名、本当は三十五名のはずが残念ながら長回容一郎君主菊島博文君が他界してしまい三十三名というととになヲてしまったのだが、今年同調障会の当番幹事をする時になったのだから憶もが岡十八歳になったことになる、今私が園障の氏名を口ずさんでみても庫裏にはTと五棄の様車を付けた制服を若た顧しか浮かんでこないのだからお互いに随分のご無沙汰になるものだ、もうすぐ五十歳になろうとする中年男の容姿に夫々のa院を重ね合わせて想像して見ると何とも妙である、反対に4きが三十年金鑑た私の鳳畿をどんなふうに纏像しているだろうかと思うとこれも又妙な気がする.学校を卒業して三十年程っと必ず当番幹事という大役が巡って〈る、私達も昭和五十九年に先輩たちから引き自置いで淡々始めた当番僻事の活動であった、各事時から二、三名の代表が集まって第ー回の釘ち合わせをした時には皆尻込みをするだけで行〈末が案じられる雰囲気であったのだが、憶かが「おい、そうは言っても一生に一回しかできんぞなー、二度したいと云ってももう駄目だぞI Jと云ラ一言があり、これが話.に景気金付けるきっかけだっただろうか、先輩や後輩たちの会社や動務先などを働関して益金をお庫いする傍ら会〈見知らなかヮた先輩や後輩たちと学生時代に植わる凪い白話などを豪しんだりしているうち、いつか知らぬ聞に「同窓」と云う仲聞がいてそして「同慰金」と云う岡巳仲間同士の集聞があるととの意義金次第に寵同させられていヮたような気がする.私は"''''ョて東京閑窓会に出席する梅会が多々あるのだが県外である東京に近在から寄り集う岡鑑生の賑わいが何ともいえず好きである、そして宴が終わるころ替で大声H泊して綾歌や応援取を合唱する時など自彊が偽〈なるような気がするのだが、あながち轟のせいばかりではないと思う.E遜ョて、昭和三十年代頃の当番幹事は確か先輩配IlIl Cがあって畑町闘を停つて調隆司事方々の岡窓会縁舎のイペントだった、まだ私など若輩そのものだったのだがなんとな〈儀笑ましい光景だったように配憧している、いずれにしても間宮生同士と云うa院は死ぬまで、切れることがないし又切ることが由来ない違舗である、大切にしたいとしみじみ凪う今日この頃である.甲府工寮高等学捜阿窓会.会2012